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Solo Exhibition

LAND
2022 02/11-20
at 数寄和

(展示に際して)

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2022年2月5日

 

「生活」がわからない。なにを指している言葉なのか、どうも腑に落ちない。「泊まる」や「過ごす」なら、どういうことを言っている言葉なのか見当がつくが、「住む」や「暮らす」は、いったい、なんのことなんだろう。うまくつかまえられない。

「部屋」はわかる。その言葉で示される意味の感覚的な輪郭をまだ観察できる。ところが、これが「家」になるとわからない。なにを示す言葉なのか。

 

「部屋」を知らない人に、「部屋」を説明することはできそうだ。「壁やカーテンで仕切られているナワバリで、そこにとどまることを想定されていて、」云々。「泊まる」でも「過ごす」でも、(説明が伝わるかはともかく、)説明を試みることはできる気がする。けれど、「生活」や「暮らす」、「家」などの言葉をまるきり知らない人に、それを説明しなければならないとしたら、これは難しい。かなり難しい。

 

 人は常に、「わたしがいまここにいる」という状況を過ごし続けている。ところが、ぼくには、「わたしがいまここにいる」という確信がどうも薄い。なぜか昔からずっとそうだ。「ほんとうに「わたし」なんてものがあるんでしょうか、どこにいるんでしょうか」「わたしがいる「ここ」と「わたし」に、いったいどんな関係があるんでしょうか」というような疑念に、からめとられ続けている。いつもそうだった。「わたしがいまここにいる」という状況を、そんなことが問題として意識されないくらいに、当たり前の前提として受け止め切れていないからこそ、「家」も「生活」も「暮らす」もわからない。教えてもらいたい。

 

 いま思い出すのは子供の頃、通学路に発見したあるアパートのこと。なぜか施錠されていない空室があって、たまにそこに忍び込んでいた。なにもない部屋に寝転んで過ごしていた。自分がいるのは、誰もいるはずのない場所なのだった。行方不明の快感です。そう、気持ちよかった。せいせいした。

 

 展示タイトルを「LAND」とした。LandはSeaと対になる言葉だ。一方、GroundはSkyと対になる言葉で、つまり、「その地面」にまさに立っている人からみえる地面のことを指す。これと比べると、Landをみている視点人物はLandのなかにいない。Landの外でふらふらしている。外からLandを眺めている。

 

 わたしが立っている場所にとって、わたしはいつも、よそものでしかない。つまり「わたし」は常に、「わたしがいる場所」の「外」に「いる」。ほんとうに「わたし」なんてものがあるんでしょうか、どこにいるんでしょうか。わたしがいる「ここ」と「わたし」に、いったいどんな関係があるんでしょうか。

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